【あらまし】
一代で財を成し、身代を息子に譲って隠居した親だんな。身の回りの世話をする丁稚の定吉と隠居所暮らしです。閑(ひま)は出来ましたが、仕事一筋に生きてきた人ですので趣味も道楽も無い。我流で茶道のまねごとを始めるのですが、もとより茶の湯のたしなみなどはありませんから、抹茶の代わりに青大豆の粉を使ったりして、茶席に招かれるお客はたまったものではありません。
落語にはいろいろな食べ物が登場します。一度グルメランキングやワーストグルメランキングなど作ってみても面白いかもしれません。そうなったら、このお話に出てくるのは言わば「緑色のきな粉のお湯割り」(サポニン含有のムクロジ果皮煮汁入り)ですので、「ちりとてちん」の腐った豆腐などとちがって飲食できるものなのですが、味の不思議さ・奇妙さ・不快さにおいて決して侮れないとわたしは思います・・・、が試すつもりは・・・。 (南坊)
<参照:全編内容は「特選上方落語覚書」(http://homepage3.nifty.com/rakugo/kamigata/index1.htm)など>
【展示室】
◎落語では、ご隠居宅の離れがお茶室になっております。
(茶室例・ウィキペディアより) (茶室例・Sekisui Interior事例集より)
◎水車が2ヶ月ほど週に1回天下茶屋の先生のところへお茶のお稽古に通い、その折にお道具や生徒さんのお手前の様子などを写真に撮らせていただきました。お稽古の場でのこと、もちろん完璧なものではないですが、当ミュージアムの趣旨には十分に適う展示になったと思います。天下茶屋の先生、生徒さんありがとうございました。
◎落語では、ご隠居さん、丁稚が買うてきた青黄な粉(うぐいす粉)でお茶を点てようといたします。ご承知のとおり、茶の湯の方では炭を ひとつつぎますのでも「炭手前*(すみでまえ)」といういろいろとややこしい作法がございますが、そういうことは一切(いっせつ)お構いなしでございます。 *茶の方は「点前」
◎綺麗に切ってある炉。大馬崎先生のお茶室の炉には、お稽古用にはもったいない意地塗りという高級な漆塗りの枠がはまっています。長年使っても傷まないのだそうで、色といい艶といい傷一つもないまさに新品のよう。
◎・・・炭手前では、炭道具の運び出し(茶室に持ち込むこと)から下げるところまで順々に実に細かな作法がございます。空気の対流を促す「湿し灰」を撒いた後の、炭をつぐところだけをとれば(濃茶から懐石を経て薄茶までフルコースで行う際の濃茶の前の「初炭手前」=しょずみでまえ)、まずあらかじめ炉に準備されていて種火となる「下火」の位置を直し、一番太くて大きく炉の中心となる「胴炭」や、少し小さくて火力をつける「丸ぎっちょ」「割ぎっちょ」と称される炭を一定の順につぎ、そして導火線の役割をする細長い「丸管炭」 「割管炭」や胡粉・石灰を塗った「枝炭」を積み、最後に一番小さい「点炭」を乗せる-となりますが、そこは知ったかぶりのご隠居さん、殆ど逆さまに、まず炭を山積みにいたしまして、から消しを乗せて、火の種を置きますというと、上からもって渋団扇で、バタバタバターッと、何じゃ茶の湯やら、サザエの壺焼きやら分からんという・・・。ちなみに、茶の湯の方で炉を使うのは11月から4月までの間やそうで、5月から10月までは風炉を使うとのこと。
◎さて、ご隠居さん、離れのお茶室にある先住者が残したお道具で、お茶を点てようとします。湯を汲む柄の長い柄杓(=ひしゃく)、丁稚曰く「こんだけ柄が長いとな、匂いがこっちへ来るまでに汲めるというババ買いとおんなじ要領」。 耳かきの親玉みたいなやつ(茶 杓=ちゃしゃく)。どういうわけかいつも先がかじかんでる茶ぼうき(正しくは茶筅=ちゃせん)。絹で合わせになったある贅沢な雑巾=ぞっきん(正しくは袱紗=ふくさ)。
(柄杓) (茶碗、茶巾(ちゃきん)、茶杓、茶筅、棗(なつめ))
(袱紗)
◎・・・ご隠居さん、青黄な粉に湯を注ぎ、茶筅をしきりに動かして泡立てようとしますが、一向に泡が立ちません。丁稚が、むかし石鹸がなかった時分に洗濯をするのに使うた椋(むく)の皮(正しくは同じく落葉高木の「無患子・ムクロジ」の果皮-水に溶けて石鹸のように泡立つサポニンが含まれているとのこと)を買うてまいります。これを煮えたぎってる釜ん中へ放り込みまして、ぶくぶくぶくと煮立てて、その湯を茶碗へ入れて、十分にかき回したもんやさかいたまらん、「うわッ、わー、ご隠居はん、えらいこっておますなぁ。茶碗から泡が盛り上がってまっせ」。なお、濃茶は泡立てません。
(ムクロジの木・ウィキペディアより) (ムクロジの実-果皮にサポニンが・日高市HPより)
◎ここは一度、青黄な粉とムクロジの果皮で実験をしてみたいところ。ご隠居も、丁稚も、またご隠居からの招待状を受けて泣く泣く参上 した長屋の住人も、飲み下すのには難渋いたします。その味も是非試してみたいところ。
もっとも、毎日喫して、「お腹が下って、下って。なあご隠居はん、もう茶の湯やめまひょうな」「何、お前もお腹が下ってるか。わしもそう じゃ。ゆんべなんかお手水へな、十六ぺんも行た」「さいでおますか。わたいは一ぺんで済みました」「おお、若いだけにエライな」「そやおまへん、一ぺん入ったら出られしまへんねん」と、ここまではようやりませんが。
◎とくに、もとお侍の手習いの師匠、長屋の豆腐屋さん、大工の棟梁と次々にもがき苦しむ様は、本ネタの一番の見せ所です。・・・「確か、これを三辺回すということを、聞いたような気がする。」一番手に飲むはめになった手習いの師匠のこれが唯一の頼りでございます。 伺いましたところでは、まずご亭主がお茶を立ててお客様にお出しするときに、茶碗の一番いい正面のところをお客様に向けて置く。そしてそれを受けたお客の方は、茶碗を持ち上げてそのまま飲もうとすると、亭主のおもてなしの心の表われといえる折角自分に向けられた茶碗の正面に口を付けることになるので、その正面を外すために、ちょっちょっと茶碗を回すというのが本来の趣旨とのこと。落語では、これを両手もろとも30~40センチの円を描くようにぐるぐるぐるっと3辺回してもとの位置という風にやると、お客様の笑いが・・・。なお、この場面は濃茶の作法、すなわち薄茶のように一人ひとりがそれぞれの茶碗を飲み干すのでなく、人数分の濃茶が入った茶碗を次々に手渡しで飲み、最後のお客が飲み干すというお作法の方が話の運びがスムーズなようで。
◎お話の最後4分の1ほどは解説的な地の文が多い、演じ手にとってはメリハリをつけながらトントントンと話を運んで飽きさせない芸の見せ所。狂言回しは、ご隠居が菓子代を始末するため手作りします芋饅頭。さつま芋を一俵買うてきて、これを蒸(ふか)して、甘味は糖蜜(サトウキビから砂糖を取ったあとの廃液)でつけます。饅頭の型に使うお猪口の内らに灯し油(菜種や桐の油)を塗って、ギュッと 詰める、と、スポ~ンと抜けまして、形といい色艶といいまことにおいしそうな、「利休饅頭」てな名前をつけまして…口にいれますというと、さあそれがエグイとも苦いとも何とも言えん味で…「げッ…」。これも今後の試食課題ということで。・・・ドンドン。
(参考サイト)
・丁稚がご町内で生垣越しに覗き見した光景を説明する中に登場する、
「有馬猫」: ArtWiki(http://www.arc.ritsumei.ac.jp/artwiki/index.php/%E6%9C%89%E9%A6%AC%E3%81%AE%E7%8C%AB%E9%A8%92%E5%8B%95)など
「盆画・盆石」:「細川流盆石」ホームページ(http://www.bonseki.gr.jp/whatsbonseki.html)など
・お客がこの垣根越しに芋饅頭を投げる「建仁寺垣」:
藤平竹材店「竹垣を作る①」(http://homepage3.nifty.com/fuj-takeya/kenninjikatamen.htm)など
<後記>
茶の湯を少しだけ齧っての感想は、長屋の連中が恐れをなすように、そらまあ一挙手一投足に渡るそのお作法のきめ細かなこと。それがまた、いちいちにもっともな理由があって納得させられます。水車なりに整理すれば、第一にそうすることで動作がムダなく素早く円滑になる、第二に見た目に美しい、そして第三に、これが一番大事かと思いますが、「お・も・て・な・し」のこころ。さらにその奥にはもっと深い精神性が・・・と思いますが、落語では、それらを全て外してやらせていただくことでまた日常世界を飛び出します。ともあれ美しい器、清々しい動作、和やかな気持ちでいただく一服のお茶とお菓子のおいしいこと。やはり日本文化の粋ですねえ。
(担当:水車)