らくてん会

らくてん会は西成寄席のお世話とアマチュア落語・演芸のサークルです。

口上

◇口上(第77回「西成寄席」)

  お運びありがとうございます。

   先日、電車に乗っていたときのことですが、途中の駅から六〇代半ばと推察される女性二人が乗ってきて、わたしの隣に座りはりました。仲の良いお友達らしく、大きな声で話をしておられます。

  最初は誰か共通のお知り合いの話で盛り上がっておられましたが、やがて一方の女性が、

「ちょっと、あんた知ってる?吉永小百合て七〇歳らしいで・・・」

「エエーッ、ほんまかいな。負けてられへんわあ!」

「せやろう!」

 不意を突かれたわたしは言葉もなく、ただ電車の床の模様を眺めておりました。

 ・・・負けられへんということは、つまり勝つか引き分けるということですか・・・。

  そもそも現時点で「勝ち負けを論じる」ということは、例えば四〇歳や五〇歳のときに「ある程度同じようなレベルにあった」ということが前提ではないでしょうか。

 しかるに、わたしなりに冷静に判断して、出産直後はともかくとして、お二人が小百合さんのライバルであったことは無かったかと思われます。

 もとより、そのこと自体は決して非難されるようなことではありません。なにせ相手は吉永小百合さんなんですから、大抵の人はボロ負けなんです。

 むしろわたしの驚きは、「そんなもん100メートル離れて見たら一緒やんかぁ」みたいな、神をも恐れぬ楽観主義にあります。

 お二人は、その後も次々と話題を変えておしゃべりを続けておられます。稀代の美人女優に対抗するという難題はすでに忘れ去られ、痕跡すらありません。

 彼女たちの真骨頂は、まさにこの辺りにあるのでしょう。

 寿命は負けないと思います。

                               ( 山 )

◇口上(第76回)

お運びありがとうございます。

わたしの家にテレビが来たのは昭和三十九年の東京オリンピックのときでした。それから数年たってテレビがカラーになったころに、電話がついたのではなかったかと記憶しています。

我が家にテレビがやって来てから五〇年。テレビ好きのわたくしは時間が許せばずっとテレビを見ておりますが、中でも「探偵ナイトスクープ」という6チャンネルの人気長寿番組が大好きです。一般市民が悩み(深刻なものからアホらしいものまで)の相談を番組に寄せ、探偵役の芸能人が解決に取り組むという内容です。

この前も、「ひきこもり歴30年」という52歳の男性から番組に「現在の生活から脱して社会に出て行きたい。ついては探偵に手伝ってほしい」という依頼が寄せられました。さっそく探偵(カンニング竹山)が依頼者の自宅を訪ねて、長年のひきこもり生活に終止符を打とうという気持ちになったきっかけをたずねると「同い年の山中教授がIPS細胞の研究でノーベル賞を受賞したから」とのこと。たぶん全国の視聴者がわたくしと一緒に「どこと比べてまんねん?!」と突っ込んだことだと思います。

さて、人間関係が苦手な依頼者ですが、「自宅で犬を一匹飼っており、良好な関係」とのことで、それではと探偵が見つけてきたのが「ひきこもりの犬を散歩に連れ出す」という仕事。嫌がる小型犬(犬種は小型犬だが運動不足等のため著しい肥満で大きく見える)を根気よく説得して(おそらく依頼者が周囲から言われ続けた内容だと推察される)、とうとう連れ出しに成功するという感動のハッピーエンドとなりました。依頼者男性のピュアな心が中型風小型犬に通じたのだと思います。

ここで思い出したのが、知り合いの男性のことです。彼は趣味でトライアスロンをやってるんですが、先日彼の飼い犬が血尿を出したというのです。ご想像のとおり自身のトレーニングをかねて飼い犬を散歩に連れ出していたそうです。

虐待ですがな。

(山)

◇口上(第75回)

お運びありがとうございます。

冬がそこまで来ておりまして、何かとあわただしいところへ持ってきて、この暮れに総選挙をやるということになりました。どうしてもやるんやそうですな。

まあ確かにいろいろと不平や不足を言いたいことはありますが、七〇〇億円も使うてもらうほどの不満はないのです、個人的にはですね。

で、また公示というんですか、運動期間に入るとうるさいですな。わたくし、だいたいにおいて争いごとが嫌いなほうですので、ええ大人がマイク使って相手の候補者の悪口言うてるなんていうのはホントかなわんのです。

しかし、これがおなじ競争でも「フィギュアスケート」というのは観ていて実に楽しいですね。第一美しい。いや、おおむね美しい。男子はいけません。町田?勘弁していただきたい。

昔から印象的な選手が何人もいました。ジャネット・リン、カタリーナ・ビット。それからキム・ヨナ、浅田真央ですね、やはり。文字通り「華」がある名スケーター達です。

ただ若干理解に苦しむのは音楽です。あいかわらず「白鳥の湖」「007」など十年一日のごとくです。最近になって「歌」入りの曲が解禁になったと聞きました。ぜひ、何とかしていただきたいと思います。

さて、今年も残すところ一ヶ月余りとなりました。みなさまにとって、本年はどんな年でしたでしょうか?

「終わり良ければ全て良し」といいますから、何とか十二月を機嫌よく乗り切れば、少々のことは忘れて「まあまあ」ということになるのではないでしょうか。どうか、お風邪など召されませんように、健やかに師走をお過ごしください。

「女子フィギュア 村上 演歌 うなりそう」                                 ( 山 )

◎口上(第74回)

お運びありがとうございます。

この一年ほど、ギターを習いに行っておりまして、月に2回、1回当たり1時間の個人レッスンです。

先生は四十歳代で、おもにジャズのギタリストとしてライブハウスなどに出演しておられます。私の世代(あと一年くらいで還暦)ですと、バンドマンの印象といえば、①少し不良、②極端に寡黙か、もしくはチャラチャラしている、③ファッションが個性的、④女性にもてる・・・といったあたりですが、先生はいずれの項目にも該当しません(④は詳細不明ですが、少なくとも「ちょっとグレてる雰囲気が女性のハートをくすぐる」といった要素は皆無)。至ってまじめで普通な人です。

生徒に対しても、とくに若い人には厳しく教えておられて、そんな姿勢が信頼されているのでしょう、たくさんの生徒がかよっています。

先生の専門はジャズですが、生徒のリクエストに応じてどんな曲でも教えてもらえます。ある五十代半ばとおぼしき男性はハードロックひと筋ですし、六十代の男性は「ゴッドファーザー」のテーマ、スピッツしかやらない三十代の女性、ユーミンの「卒業写真」をハモろうとする夫婦など、その点はまったく自由です。

年に一度、発表会というのがありまして、わたくしも出させてもらったのですが、老若男女合計で三十組くらいのバンドが出演します。生徒は基本ひとりでギターもしくはギターとボーカル(弾き語りというやつです)でバンドに参加します。

バンドのほかのメンバー(ベース、ドラム、キーボード、曲によってはボーカル、プラス先生のギター)は全員がプロですので、ちょっと聞くと「かなりうまいバンド」という感じです。ところが、やはりそこは発表会ですので、どうしても「生徒のソロパート」というものが設定されます。かくして、次々と「間奏がいい感じ」なバンドが登場することになるのです。        (山)

◎口上(第73回)

お運びありがとうございます。

昨年十一月に初孫が生まれまして、わたくしもおじいちゃんになりました。

出産した長女は茨城県に住んで亭主と二人で農業をやっておりますもので、畑をみなければならないし、子どもの方もまだ首が据わらないなどなどで、なかなか顔を見る機会がなかったのですが、先日、ゴールデンウイークに亭主を茨城県に残して初めて生後六か月の孫を連れて帰ってきました。

稼業が農業ですので畑に行くときも(わたくしの)娘が娘(孫も女の子です)を連れていきますので、とにかく母娘は一日中いっしょで、さらにまだ母乳だけで育てているのだそうで、現在孫の人間関係は母親オンリーです。だれの抱っこも許しません。試みに抱き上げると、骨伝導と言うのでしょうか、こちらの頭の奥が「ワーン」と鳴るような声で泣き叫びます。

長女によると、実の父親であっても機嫌のよい時でないとすんなりとは抱っこさせないそうです。

たまに電車などでおんぶや抱っこをされた子どもに何かお愛想をすると笑顔を見せたりする子どもも居ますが、わたくしの孫は妥協という言葉を知らないようで(まあそれはそうか)だれの抱っこも許しません。

ただし、床においても泣くことはなく、母親の位置を確認しながらコロコロと寝返りをしたり、おもちゃで遊んだりしています。

こちらが手を出さなければ機嫌よくしているのです。

専守防衛・・・。

「泣かず、抱かせず、さわらせず」

二日間わたくしの家にいて、外交関係に特段の進展はありませんでした。

彼女らが茨城に帰った翌日、父親に抱かれて号泣する孫の写真が長女のフェイスブックに載っており、「近寄られて泣く娘と心で涙する父」とのコメントが添えられてありました。                          (山)

 

◎口上(第72回)

 お運びありがとうございます。

 「飲む打つ買う」などというんですが、「打つ」つまり賭け事というものは、他の二つにいやまして魅力的なものなのだそうです。「親子茶屋」という落語のサゲで親旦那が芸者遊びにうつつを抜かす若旦那に対し「必ずバクチはならんぞ!」というくらいですから、賭け事こそ「キング オブ 煩悩」と言えるかもしれません。

 さて、このギャンブルというものを理論的に分析した「ツキの法則」という本(PHP新書)がありまして谷岡一郎という学者さんが書いたものです。初版が十五年以上前ですので引用されているデータなどは現在のものとは少し違うところもあるのですが、人間の「気持ち」というものの不思議さがたくさん描かれていて興味が尽きません。

 たとえばギャンブルで「勝ち負け0の状態から五万円負けること」と「三〇万円負けた状態が三五万円負けになる」とでは客観的価値は同じ五万円でも、主観的価値では後者の方が「負けた感」が薄い。つまり、人がギャンブルの泥沼にハマっていく過程の心理がわかりやすく 示されています。

 また、こういう例も登場します。競馬場で「コーヒーの三〇〇円は高すぎる」と文句をつけながら馬券を一0万も二0万も買う人は、コーヒーという項目における価値基準と馬券を買うための価値基準が同じでない。その人にとって「ギャンブルに使うお金は、ある面では普通のお金ではない」という感覚が生じているというわけです。ギャンブルで勝ったお金は本人が懸命に働いたお金とは異なるため、結果として「ギャンブルで勝ったお金は身に付かない」ということになる。

 著者は「公営ギャンブルでは約二五%、宝くじでは五〇%以上を主催者がテラ銭として天引きしており、長く賭ければテラ銭の率だけ収支はマイナスになる」ということを統計学を用いて完全に解明しています。その本人が、現在も性懲りもなくギャンブルを続けているというところが、まあギャンブルが「キング オブ 煩悩」である所以(ゆえん)でしょう。